エール朝ドラ

エール露営の歌(ろえいのうた)のモデルは何?歌詞の意味やヒットの理由をネタバレ調査!

朝ドラエールは、9月21日(第15週)放送より、戦争時代が描かれます。

 

戦時下に突入していくことで、古山家も徐々にその影響を受けていくことになります。

 

そんな中、古山裕一が作曲した「露営の歌」が、作曲家生活で空前の50万枚のヒット曲となるのです。

 

「ろえいのうた」はどうしてそんな大人気の曲となったんでしょうか?

 

今回は、エールで佐藤久志が歌って流れていた「露営の歌」について、モデルや歌詞の意味作詞家などについてネタバレ調査してみました。

 

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エール露営の歌(ろえいのうた)のモデルは何?作詞家は誰でどんな人?

 

 

「露営の歌」は、昭和13年(1938年)の1月までに、日本で56万枚の売り上げとなり、戦前の流行歌では空前の大ヒットとなった曲です。

 

作曲した古関裕而さんは、まだ20代の時でした。

 

露営の歌です↓

 

曲を作るきっかけとなったのは、昭和12年(1937年)の夏。

 

古関裕而さんは奥さんの金子と一緒に、金子さんの兄や妹が住む満州に旅行に行きました。

 

この時、中国では盧溝橋(ろこうきょう)事件が勃発する情勢ではあったものの、旅行が出来ない程の状況ではありませんでした。

 

古関さんは日露戦争の激戦地となった旅順の地において、感慨にふけったそうです。

 

古関さんの自伝の本『鐘よ 鳴り響け』の中で、「力で奪う国の領土争いの悲惨な犠牲の痛ましさに感極まった。」との記述があります。

 

 

その後旅から帰る最中にコロムビアレコードから、「急ぎの作曲がある。」と連絡を受けます。

 

当時、日本の歌謡界は、中国との対立から戦時歌謡が唄われはじめていました。

 

そこで「大阪毎日新聞」と「東京日日新聞」が共同で「進軍の歌」の歌詞を募集。

 

籔内喜一郎(やぶうち きいちろう)さんの歌詞が選ばれました。

藪内喜一郎さん(1905年–1986年)は奈良県出身で、当時は京都市役所に勤務されていました。

その後、読売新聞社を経て、福島民友新聞社に出向し、編集局長まで務め、川柳を愛する文化人の方でした。

 

日本コロムビアが、このレコードを制作することになり、陸軍戸山学校軍楽隊が「進軍の歌」の作曲を手がけています(資料によっては筒井快哉さんの作曲となっています)。

 

進軍の歌です↓

 

このとき、佳作1席(2等)に選ばれた詩が優れていると評価を受けて、この歌詞は「露営の歌」と名付けられて、「進軍の歌」のB面に収録されることになります。

 

ですが、コロムビアの作曲家はこの時、避暑に出かけており、誰も残っていませんでした。

 

そこで、満州に旅行に行っていた古関裕而さんに白羽の矢が立ったというわけです。

 

古関裕而さんは、満州旅行を終えて帰国中の船の中で、「急ぎの作曲があるから、神戸で下船しないで、門司から特急で上京されたい」という電報を受け取ります。

 

古関裕而さんは、福岡県の門司で船を下りて、フェリーで山口県の下関へ。

 

下関の旅館で、久しぶりに日本の新聞を読もうとすると、募集した「進軍の歌」の歌詞の第1席から佳作までが記載されていたのです。

 

その後、汽車に乗った古関裕而は、東京までの時間のあいだに新聞で見た「露営の歌」の事を思い出して、ヒラメキと共にあっという間に曲を付けたのでした。

 

その後、古関裕而さんが東京に到着すると、ディレクターからA面の「進軍の歌」は既に吹き込みが終わっているので、B面の「露営の歌」に作曲して欲しいと言われます。

 

すると、古関裕而さんは驚いて、「それなら、もうできてますよ。」と言い、ノートを見せました。

 

ディレクターが「どうして分かったんですか」と驚くと、古関裕而は「それは作曲家の第6感です」と答えています。

 

すると、ディレクターも「ちょうど、短調の曲が欲しかったんです。」と喜び、関係者を呼んで曲を聴いて、すぐに決まります。

 

古関裕而さんは息継ぎの部分が難しいと思ったのですが、歌手の伊藤久男が「これくらいは何でも無い。」と言ってくれたので、自宅に帰って伴奏部分を作り、3種の曲を完成させています。

 

3種の曲調としては、ハ短調、卜短調、へ長調。

 

レコーディング前に聞かせると、古関さんが一番自信を持っていたハ短調が支持されて、ハ短調に決定となったのでした。

 

そして、歌は日本コロムビアの伊藤久男さん・松平晃さん・霧島昇さんなどの精鋭がレコードに吹き込んで、戦時歌謡「露営の歌」が完成し、昭和12年9月に発売されました。

 

だが当初は、レコードは売れず、出征する兵士を見送る時には「日本陸軍の歌」が歌われていました。

 

日本陸軍の歌↓

 

ところが、2ヶ月ほどして、戦地の兵士は「進軍の歌」よりも「露営の歌」を好んで大合唱していると新聞で報じられます。

 

この報道がキッカケとなって、爆発的にレコードが売れ始めて、50万枚以上を売り上げて、大ヒットを記録しました。

 

それ以降、出征する兵士を見送る時には、「露営の歌」が歌われるようになりました。

 

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エール露営の歌(ろえいのうた)歌詞の意味やヒットの理由をネタバレ調査!

 

露営の歌は、令和の時代になっても、「どこかでこの曲を聞いたことがある。」、「おじいちゃんが歌っていた。」ということで何となく知っている方もいるのではないでしょうか。

 

それくらい「露営の歌」には、当時の日本人や、戦争に出兵していった人たちの心にしみる歌だったのでしょう。

 

露営の歌の歌詞は「勝って来るぞと勇ましく――」と歌い出しこそ勇壮で、力強いですが、最後まで聞いていると、短調でもの悲しいメロディーなんですよね。

 

実際の戦時中、出征兵士はこの歌で家族に見送られています。

 

単に鼓舞するだけでなく、兵隊さんに寄り沿った大衆歌だったからこそ、愛されたのでしょう。

 

確かに曲調は勇ましいですが、当時見送っていた家族のすべてが身内が戦地に赴くことを良しとしてなかったと思います。

 


著作権の関係がありますので、すべての歌詞を見たい方はココから見てください。

 

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エール露営の歌(ろえいのうた)せんせいのうたは、藤堂先生?

 

 

朝ドラエールでは、「露営の歌」を歌うのは、山崎育三郎さん演じる佐藤久志です。

 

久志(山崎育三郎さん)の歌で売り出されたこの曲は、国民の心をとらえて出征する兵士の見送りに歌われるようになり、大ヒットします。

 

佐藤久志も、素晴らしい歌声を持ちながら、なかなか芽が出なかったけど、これで人気歌手の仲間入りとなります。

 

ディレクターの廿日市誉(古田新太さん)も、大ヒット曲となったことで小躍りしそうですね。

 

佐藤久志について⇒「【エール】山崎育三郎の久志役モデルは誰?キャストをネタバレ調査!

 

朝ドラエールの第15週では「せんせいのうた」というタイトルが付けられています。

 

森山直太朗さん演じる藤堂先生が、出征がきまり、国旗を背負って戦地へ向かう場面がありますが、恐らく藤堂先生なんでしょう。

 

藤堂先生のネタバレはコチラ⇒「エール藤堂先生のモデルは誰でお墓の意味のネタバレ!森山直太朗演じるキャストの名言もチェック

 

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まとめ

 

今回は、朝ドラエールで登場する「露営の歌」について、ネタバレ調査してみました。

 

歌や音楽って確かに、人の心に訴えるものはあるし、なくてはならないと思うのですが、戦時中に軍歌として大ヒットとなると、複雑な気持ちになります。

 

小山祐一や、妻の音だってこの時は、日本の国を思ってやっていたとはいえ何とも言えないなあ、と個人的には思いました。

 

エールのドラマで、戦時下をどのように描いていくのか、引き続き見ていきたいと思います。

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