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マットキーオ死去!死因の病名や病気は何?告別式やお別れの会の日程は?

元阪神エースのマットキーオさんが、2020年5月1日(アメリカ時間)に、64歳で、お亡くなりになったことが明らかになりました。

 

マットキーオさんは、来日1年目にして開幕投手として活躍されてこられた方ですよね。

 

まだまだお若いのに、亡くなったなんてビックリしました!

 

今回は、マットキーオさんがお亡くなりになった死因や病気の理由・病名と、告別式やお別れの会の日程についても調査しました。

 

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マットキーオのプロフィール

 

 

マットキーオ(まっと きーお)さんは、元プロ野球選手であり、アスレチックスのエースの一人として活躍していました。

 

マットキーオさんの正式名は、マシュー・ロン・キーオMatthew Lon “Matt” Keough )。

 

生年月日は1955年7月3日、生まれはカリフォルニア州ポモナです。

 

没年月日は2020年5月1日で、享年64歳でした。

 

身長は190.5cm、体重は86㎏です。

 

マットキーオさんは、オークランド・アスレチックス時代には内野手として入団しました。

 

マイナー時代に打力が低いこともあったものの、投手としての才能を見いだされ1976年にコンバートされ、1977年に早くもメジャー昇格となります。

 

アスレチックスでは、1970年代前半はワールドシリーズ3連覇を達成。

 

フリーエージェント(FA)制度ができてからは、レジー・ジャクソンら黄金時代を築いたスターが軒並み移籍して、チーム力は低下していました。

 

ルーキーイヤーの1978年には、打線の援護がなく8勝15敗に終わったが、防御率3.24とまずまず好投。

 

ですが、1979年は開幕から14連敗を喫するなど2勝17敗の散々な成績に終わった。

 

9月5日にシーズン初勝利を挙げるまで、前年から続く28先発連続勝利なしのMLB記録を作りました。

 

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マットキーオの阪神タイガース時代は?

 

マットキーオさんは、1987年に阪神タイガース入りしました。

 

弱体化した阪神投手陣の中で、オープン戦で好成績を残したことから、入団1年目でいきなり開幕投手をつとめることになります。

 

その後は、阪神のエースとして活躍していました。

 

日本球界でのプレー経験が過去に全くない、入団1年目の外国人投手が開幕投手を務めたのは、マットキーオさんが、日本球界で初めてとなっています。

 

また投手ながら、阪神在籍中2本の本塁打を放つなど、日本プロ野球史上4組目の親子本塁打達成者でもあります。

 

2本目は1989年5月23日の中日戦(福井県営球場)で杉本正からソロ本塁打を打っています。

 

マットキーオさんは、通算4年間阪神に在籍し、3年連続2桁勝利(特に1989年は15勝)を含め45勝を挙げています。

 

1989年に15勝を挙げて翌1990年も期待されたものの、オープン戦で登板中に足を故障したことが影響して出遅れ、結果7勝に止まったことから自由契約となり、1990年まで在籍しました。

 

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マットキーオさんの死因や病気の理由はなぜ?

 

マットキーオさんの、死因の理由はなんだったのでしょうか?

 

マットキーオさんがお亡くなりになったのは、2020年5月1日。

 

米紙「サンフランシスコ・クロニクル」が報じているニュースでも、詳細は死去されたという内容のみとなっていて、死因は明らかになっていませんでした。

 

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マットキーオさんの死去にSNS上では

 

マットキーオさんの死去のニュースについて、ネット上の声をお伝えします。

 

 

 

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まとめ

 

今回は、5月1日の訃報が報じられた、元プロ野球選手のマットキーオさんの訃報についてお伝えしました。

 

マットキーオさんの死因は、本国のアメリカでも明らかになっておらず、葬儀・告別式については今のところ公式の発表はありません。

 

マットキーオさんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。

 

ちょっと話がズレますが、昔「おはようパーソナリティ」のラジオで、道場洋三さんが、戦列を怪我で離れていたキーオの話題で、阪神ファンに「治って戻ってくるまで待っときーお」とダジャレ言っていたのを思い出しました。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

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