エール朝ドラ

【エール】志村けんの役名や出演放送日はいつ?何話に登場で代役はあるのか調査!

2020年3月30日(月)から、NHK朝ドラ「エール」の放送がスタートしていますね。

 

ドラマに出演が決まっていて、先日新型コロナウィルスの影響でお亡くなりになってしまった、志村けんさん。

 

すでに撮影もしていたということで、志村けんさんのシーンは、そのまま放送すると発表がありました。

 

志村けんさん、どんな役を演じているのか、代役の可能性はあるのでしょうか?

 

今回は、朝ドラ「エール」での志村けんさんの役名や役柄や、モデルの存在や、代役について調査してみました。

 

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【エール】志村けんの役名・役柄は?

 

「エール」で志村けんさんが演じるのは小山田耕三という役名で、昨年の12月からすでに4回収録に参加されていました。

 

小山田は、主人公は窪田正孝(くぼた まさたか)さん演じる古山裕一(こやま ゆういち)が、憧れの存在となる人物です。

 

志村けんさんが登場するのは、どの場面なのでしょうか?

 

 

志村けんさん2019年12月から、撮影に参加されていて、最後の収録に臨んだのは、3月6日だったそうです。

 

志村けんさん演じる、小山田耕三は古山裕一が尊敬する役。

 

主役の窪田正孝さんが幼少期に手に取る作曲学習本の著者として、名前が登場しています。

 

志村けんさん演じる小山田耕三は、朝ドラ『エール』の物語にとって大切な役柄だということです。

 

小山田耕三は音楽界の重鎮で、裕一にとってはあこがれの存在。

 

志村けんさんにピッタリな役柄ですね!

 

古山裕一(窪田正孝さん)は世界的な作曲コンクールで最年少で二等を受賞します。

 

それを新聞で読んだ音(二階堂ふみさん)はその快挙に興奮し、ファンレターを送ります。

 

音の熱意溢れる手紙に裕一も返事を書き、ふたりは数えきれないほどの手紙のやりとりをします。

 

古山裕一の活躍を、小山田耕三が知るシーンなどが撮影されていました。

 

ドラマのスタッフである、土屋勝裕制作統括はこんなコメントを発表しています。

 

志村けんさんにとって初めての本格的なドラマ出演ということで、いつまでも挑戦し続ける志村さんの姿に、出演者・スタッフみんなが、志村さんからエールをもらいました。

最後まで演じていただきたかったです。

 

ドラマの中での大事な役割を担っているという小山田耕三だっただけに、志村けんさんの訃報は残念でなりません。

 

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エールに志村けんが出演する放送日は?代役はある?

 

朝ドラ『エール』に志村けんさんが登場する日はいつなのでしょうか?

 

志村けんさんの出演シーンは、そのまま放送されるということで、出演日について調べてみました。

 

最初に登場したのは5月1日でした。

 

裕一が音さんに会いに豊橋に行って、鶴亀寅吉(古舘伊知郎さん)の誘いで演奏会を開いて大成功。

 

その様子を、新聞を見て裕一の存在を知る、という場面でした。

 

そして、2度目は5月6日(水)の28話目です。

 

裕一をコロンブスレコードで契約してほしいと、廿日市誉(古田新太さん)に相談する場面で登場しています。

 

志村さんはその後数回に渡って、登場することになっています。

 

上京して作曲家になった裕一は、尊敬する小山田耕三に会う場面を収録する予定があったそうです。

 

今回の件で、今までに撮影された場面は小山田耕三を思う場面として登場するのかと思われます。

 

収録は4回ということで、登場シーンはそれほど多くないかもしれません。

 

その後も収録する予定だったことから、代役を立てる話も出たそうです。

 

NHKによると、志村けんさんの撮影済みのシーンはそのまま放送する方針で、それ以降については、代役を立てずに、ナレーションを使って、志村けんさんを登場させる形で検討しているとのことです。

 

志村けんさんの映画については「ぽっぽや鉄道員(映画)志村けんの役は?高倉健との共演や演技力を調査してみた!」でも詳しく紹介していますので、ぜひ見ていってください!

 

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【エール】志村けんの役・小山田耕三モデルの役名は誰?

 

「エール」の小山田耕三のモデルは、山田耕筰(やまだ こうさく)さんです。

 

古関裕而さんよりも20年ちょっと早くで、1886年(明治19年)に生まれた山田耕筰さん。

 

山田耕筰さんの父親は、医師でありキリスト教伝道者でありましたが、1896年、山田耕筰さんが10歳のときにお亡くなりになっています。

 

その後母の兄夫婦の養子となり、父の遺言により自営館(後の日本基督教団巣鴨教会)に入館し、昼は働き夜は勉強をする、という生活をしていました。

 

1901年、山田耕筰さんは姉夫婦に引き取られます。姉の夫はイギリス人宣教師のガントレット

 

山田耕筰さんはガントレットから音楽を教わっています。

 

1904年に母親が亡くなり、その年に東京音楽学校に入学します。

 

1908年に卒業し、研究科へと進みました。山田耕作さんが22歳の頃です。

 

1909年に古関裕而さんが生まれていますので、二人は23歳違い。

 

1910年から三菱財閥の岩崎小弥太さんから援助を受け、ドイツへ留学。

 

1912年には日本人として初となる交響曲「かちどきと平和」を作曲されました。

 

1914年に一度帰国され、東京フィルハーモニーの指揮者に就任しますが、翌年に解散となり、1917年に渡米。カーネギーホールで演奏会を開きました。

 

1920年に帝国劇場で「タンホイザー」を日本で初めて演奏。

 

その後も東京市民合唱団をつくったり、日本で初の管弦楽団を造られました。

 

そして、日本交響楽協会を設立し第1回演奏会を開いたりと、西洋音楽普及のため尽力されてきました。

 

ですが、その後オーケストラ楽団の失敗により負債を抱え、茅ケ崎に移り住みます。

 

そこで「赤とんぼ」などの童謡を作曲し再起を図ります。

 

1927年には日本初のトーキー映画黎明」の音楽を担当。

 

トーキー映画とは、音声が出る映画のことですが、それまでは無声映画が主流だったんですね。

 

本名は山田耕作さんといいますが、1930年に名前を山田耕筰に改名。

 

1936年にはフランス政府からレジオンドヌール勲章受章します。

 

そして1937年に相愛女子専門学校の教授になりました。

 

1942年に帝国芸術院会員に選出され、1944年に日本音楽文化協会会長に就任します。

 

1950年には日本指揮者教会会長に就任。

 

また1954年には映画「ここに泉あり」にご出演。1956年には文化勲章を受章、またこの年に再婚されています。

 

そして1965年、心筋梗塞により79歳でお亡くなりになりました。

 

輝かしい功績を残された山田耕筰さん。これまでに幅広い楽曲を作曲されています。その一部をご紹介します。

 

歌曲

  • 野薔薇
  • からたちの花
  • この道
  • 鐘がなります
  • ロシア人形の歌
  • 愛する人に

 

童謡

  • 赤とんぼ
  • お山の大将
  • 七夕
  • 砂山
  • ペチカ
  • 待ちぼうけ
  • あわて床屋

 

歌曲や童謡は北原白秋さんの詩による、共作の曲が多いです。

 

交響曲、映画音楽、軍歌、学校の校歌など、さまざまな音楽を手掛けてきた山田耕筰さん。

 

映画音楽では、ご自身が出演された「黎明」のほか「新しき土」「川中島合戦」なども手掛けています。

 

地方自治体から企業の社歌、全国高校野球選手権「大会行進曲」なども作曲されました。

 

ものすごい数の作曲で、なおかつジャンルも幅広いです。

 

そんな山田耕筰さんは、実際にも古関裕而さんが憧れた人物です。

 

古関裕而さんは一度銀行に勤めていますが、山田耕筰さんの本「作曲法」を元に、独学で作曲を勉強していました。

 

自分で作曲した楽譜を山田耕筰さんの事務所に送ったりと、何度か手紙のやりとりもあったんだとか。

 

古関裕而さんが銀行勤めのあと、日本コロムビアに作曲家として入社しますが、これは山田耕筰さんの口添えがあったからだといわれています。

 

ですが山田耕筰さんは過去に、女性スキャンダルが問題となったことがありました。

 

この時、真面目だった古関裕而さんは、この事を知ってかなりご立腹されたそうです。

 

とはいえ、古関裕而さんの人生に大きな影響を与えた人物であった、山田耕筰さん。

 

「エール」ではどのように描かれるのか、楽しみですね!

 

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まとめ

 

今回は、朝ドラ「エール」の志村けんさんの役名や役柄、モデルの存在や、代役についてまとめてみました。

 

志村けんさんの出演については残念なことになった上に、朝ドラの撮影が一時休止になってしまいました。

 

現時点では放送に影響はないと発表されていますが、影響が出始めたコロナウイルスが早く終息してほしいですね。

 

志村けんさんのご冥福をお祈り申し上げます。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

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