朝ドラ「エール」の40話(5月22日)で、裕一が、早稲田大学応援部の応援曲「紺碧の空」を完成させて、早稲田が勝利していましたね。
これがキッカケとなって、裕一はすっかり自信を取り戻すようです。
そんな裕一は、「福島行進曲(ふくしまこうしんきょく)」を完成させるんです。
この曲は実際にあった曲なんでしょうか?
今回は、エールの福島行進曲はラブソングは本当なのか、古関裕而と野村俊夫の実話について調査してみました。
エールの福島行進曲はラブソングは本当?
裕一・鉄男・久志3人での、初めての飲み会でパチリ📷✨
ポーズは窪田さんいわく、「アメリカ式の乾杯」らしいです🍶鉄男の書いた「福島行進曲」の歌詞も♪#朝ドラエール#窪田正孝#中村蒼#山崎育三郎#1月に撮影 pic.twitter.com/WhXDtubd9m
— 連続テレビ小説「エール」 (@asadora_nhk) 2020年5月27日
「福島行進曲」は、「エール」で古山裕一(窪田正孝さん)にとって初めてのレコード化となった曲になります。
これまで何度も作った曲がボツになっていた裕一にとって、やっと評価された曲なんですよね。
そして、実話でも、裕一のモデルとなる、古関裕而さんにとってコロムビアでは初レコードとなった曲なんです。
福島行進曲の作詞は、村野鉄男(中村蒼さん)のモデルである、野村俊夫さんが書かれています。
これはふたりの初タッグとなった、お二人にとって記念となるデビューの曲となり、1931年に発売されました。
福島行進曲の歌詞を見てみました。
【福島行進曲】
作詞:野村俊夫 作曲:古関裕而
①胸の火燃ゆる宵闇に
恋し福ビル引き眉毛
サラリと投げたトランプに
心にゃ金の灯愛の影
②月の出潮の宵闇に
そぞろ歩こうよ紅葉山
真赤に咲いた花さえも
明けりゃ冷たい露の下
③唇燃ゆる宵闇に
いとし福島恋の街
柳並木に灯がともりゃ
泣いて別れる人もある
「行進曲」なんてタイトルが付いてるけれど、歌詞を見れば、③の歌詞に「恋の街」とあるので、ラブソングであることが分かります。
ただ残念ながら、初のレコード化となったのですが、この時は、ヒット曲とはなりませんでした。
「福島行進曲」は昭和6年5月に発売された古関裕而のデビューレコードで作詞は野村俊夫、B面は「福島夜曲(せれなあで)」♡作詞は竹久夢二だった
「福島行進曲」を歌ったのは帝劇出身のオペラ歌手・天野喜久代(-_-)残念ながらこの曲はヒットしなかったそうである#エール pic.twitter.com/ci8Fvpyn6H
— 大貫虎吉 (@tora__1947) 2020年5月27日
エールの福島行進曲は古関裕而と野村俊夫が作った実話?
NHK連続テレビ小説『#エール』
主人公のモデルとなった、
コロムビアレコード専属作曲家#古関裕而 の公式Twitterスタート‼︎https://t.co/aAPQkej0YU1930年にコロムビアの専属作曲家となり、その生涯を閉じるまでに生み出した名曲の数々と貴重なエピソードをご紹介していきます‼#朝ドラエール pic.twitter.com/fAca01QMm8
— 古関裕而 コロムビアレコード【公式】 (@koseki_columbia) 2020年5月18日
「福島行進曲」は古関裕而さんが「紺碧の空」の次に作った曲になります。
作詞をされた野村俊夫さんは、古関裕而さんより5つ上の幼馴染の方です。
野村俊夫さんは福島で新聞記者をしていましたが、コロムビアレコードと契約をした古関裕而さんに誘われて上京します。
野村さんは、最初はフリーで作詞をしていましたが、藤山一郎さんが歌った「上海夜曲」のヒットによりコロムビアと契約を結ぶことになり、その後多くのヒット曲を生みだしています。
そしてその後、同じ福島出身の歌手、伊藤久男さんが歌で加わって、3人による楽曲も多く作られることになります。
ここから、野村俊夫さん、古関裕而さん、伊藤久男さんは「福島三羽ガラス」と言われるようになっていくのでした。
伊藤久男さんという方は、ドラマでは山崎育三郎さんが演じる久志のモデルとなった方ですね!
伊藤久男さんについては「【エール】山崎育三郎はいつから出演?久志役モデルについても調査!」でも詳しくご紹介しているので、良かったら見ていって下さい!
エールを見たみなさんの声
福島行進曲は天野喜久代さんが吹き込みをしましたね。
天野さんの吹き込み曲では初期の古賀メロの「チャッカリしてるわね」が傑作でした笑— まーちゃん (@maachan1205) 2020年4月17日
野村俊夫さん、「暁に祈る」と「福島行進曲」は古関先生関係で知ってたんだけど、調べてみたら、「ああ紅の血は燃ゆる」とか「索敵行」とか「ほんとにほんとに御苦労ね」とか作ってて、『ほんとにお世話になってます』状態だった。
索敵行、何このかっこいいのってなった— しほ℗@最前線だと気づいた人 (@mkt0505) 2020年4月10日
【古関裕而】銀行勤めをしながら作曲をつづけ、一大決心をして山田耕筰に曲を送る。何度かの手紙のやりとりは「本当に励まされ私の人生に大きな転換をもたらした」。山田耕筰の推薦で日本コロンビア専属作曲家となり「福島行進曲」でデビュー。早稲田大学応援歌「紺碧の空」が最初のヒット曲。
— 東京文化会館音楽資料室◆臨時休室中◆ (@tbkmlibrary) 2012年8月11日
まとめ
今回は、福島行進曲は本当にラブソングだったのか、古関裕而と野村俊夫の実話についてまとめてみました。
「福島行進曲」というタイトルだけ見ていると、ラブソングとは思わなかったので、実際の歌詞を見ているとなるほどと思うことが分かりました。
エールのドラマでは、このあたりをどう描かれるのか楽しみになっています。
最後までお読みいただきありがとうございました。