エール朝ドラ

【エール】ノゾエ征爾が演じる高梨一太郎のモデルは誰?高橋掬太郎が実在の人?

NHK朝ドラ「エール」6月より登場している、高梨一太郎(たかなしいちたろう)さん。

 

高梨は、裕一の同期の木枯から、紹介されて、裕一の作曲した「福島行進曲」の大ファンの男性です。

 

この高梨一太郎さんの実在のモデルは、いらっしゃったんでしょうか?

 

今回は、【エール】に登場した、ノゾエ征爾さんの経歴や、演じている高梨一太郎のモデル?高橋掬太郎さんについて調査してみました!

 

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ノゾエ征爾プロフィール

 

まずは、高梨一太郎役を演じる、ノゾエ征爾さんについて、ご紹介させていただきますね!

 

 

・名前:ノゾエ 征爾 (のぞえ せいじ)

・生年月日:1975年(S50)7月2日 2020年6月現在、45歳

・出身地:岡山県

・特技:英語、ダンス、ギター、ベース、トランペット、バレーボール、バスケットボール

・資格:普通自動車免許

・サイズ:身長:178cm、体重:69kg

 

ノゾエ征爾さんは、3歳から8歳までお父さんの仕事の都合でサンフランシスコで暮らしていました。

 

なので、今でも英語がペラペラ。

 

高校卒業後に、青山学院大学に進学後は在学中に演劇に目覚めます。

 

就職活動もせずに、大学4年生の時に大人計画の主宰・松尾スズキさんの「ENBUゼミ」に参加します。

 

後にゼミで一緒だった仲間と「もう少し一緒に何かやりたい」「じぶんのやりたい演劇をやりたい」という気持ちから劇団「はえぎわ」を設立。

 

何故「はえぎわ」という名前を付けたのかは、ノゾエ征爾さん自身も覚えていなんだとか。

 

そんなノゾエ征爾さんは、現在は、主に演出家として活動されており、自身も俳優として出演することもあり様々な舞台を手掛けています。

 

2012年には演出を手掛けた「○○トアル風景」が演劇界の芥川賞とも言われる「岸田國士戯曲賞」を受賞するなど、実は、演劇界ではかなり有名な方なのだそうです。

 

その後数々の舞台の演出を手掛けていき、2014年には主演映画「TOKYOてやんでぃ」が公開!

 

2016年にはさいたまスーパーアリーナで、亡くなった蜷川幸雄の意を継ぎ、高齢者1600人出演「1万人のゴールド・シアター2016」の脚本、演出も手掛けています。

 

2020年5月には、「母を逃がす」という作品で、新たに演出を手掛ける予定でしたが、新型コロナの影響で中止になっています。

 

NHKのドラマと言えば、ノゾエさんは、2019年の大河ドラマ「いだてん」に出演!

 

オリンピックの中継をするNHKのアナウンサー・松内則三を演じました。

 

トータス松本さん演じる河西三省の隣に居たメガネのアナウンサーが、ノゾエ征爾さんです。

 

 

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【エール】ノゾエ征爾が演じる高梨一太郎!

高梨一朗太は「酒は涙か溜息か」を作詞した作詞家。

 

作曲したのは、木枯正人(野田洋次郎さん)で、山藤太郎(柿澤勇人さん)が歌って、大ヒットとなりました。

 

その後、高梨一朗太は、古山裕一(窪田正孝さん)が作曲した「福島行進曲」を気に入ってくれます。

 

彼は自身の新作「船頭可愛や」の作曲を裕一に頼みます。

 

裕一は「船頭可愛や」に曲を付けて、ディレクターの廿日市誉(古田新太さん)に見せると、廿日市誉は歌詞が高梨一朗太だったので、これは売れるといい、レコード化を決定します。

 

しかし、「船頭可愛や」は、またしても大ヒットとはなりませんでした。

 

ついに堪忍袋の緒が切れた廿日市誉は、古山裕一に契約解除と契約金の返還を迫ります。

 

ところが、関内音(二階堂ふみさん)から、裕一のことを聞いた、双浦環(柴咲コウさん)は、「船頭可愛や」を聞いて気に入り、「船頭可愛や」を唄う、と決めます!

 

大物作曲家の小山田耕三(志村けんさん)は、裕一の新しい才能を恐れて、コロンブスレコードに圧力をかけようとしました。

 

しかし、双浦環は、「船頭可愛や」をレコードに吹き込み、「船頭可愛や」は大ヒットするのでした。

 

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【エール】高梨一太郎のモデルは誰?高橋掬太郎が実在の人?

 

エールに登場する、高梨一太郎のモデルは、「船頭可愛や」を作曲した高橋掬太郎(たかはし きくたろう)さんです。

 

高橋掬太郎さんは、明治34年4月に北海道根室郡根室町で生まれました。

 

 

根室商業学校を中退してからは、私塾に通って国文学を学びます。

 

大正9年に、根室新聞社に記者として入社し、「高橋春波」のペンネームで文筆活動を開始。

 

大正11年には、函館日日新聞に転職し、函館日日新聞時代に作曲家としてデビューしました。

 

その後、昭和6年に「酒は涙か溜息か」「私此頃憂鬱よ」を作詞し、少し話題になりかけていた新人の作曲家・古賀政男に「酒は涙か溜息か」を提供します。

 

この「酒は涙か溜息か」を歌ったのが、帝国音楽学校の藤山一郎で、「酒は涙か溜息か」が100万枚の大ヒットとなります。

 

これがキッカケとなって、昭和8年に、高橋掬太郎さんは函館日日新聞を退職して上京。

 

し作詞家として活動を開始するのですが、ヒット曲が続かず、低迷していきます。

 

そこで、高橋掬太郎は昭和9年、同じくヒット曲が出ずに契約解除に怯えていた作詞家の古関裕而に「ヒット曲を作るため、取材旅行に出よう」と誘い、茨城県の潮来を訪れます。

 

そして、高橋掬太郎が「利根の舟唄」と「河原すすぎ」を作詞し、古関裕而が2曲を作曲しました。

 

この2曲の内の、「利根の舟唄」がヒットし、古関裕而は日本コロムビアと専属契約して4年目にして、ようやく初ヒットを出す事ができ、契約解除を怯える日々から解放されました。

 

さらに、高橋掬太郎は昭和10年に「船頭可愛や」を作詞し、古関裕而が作曲します。歌は下駄屋の主婦から歌手になった音丸が担当しました。

 

この「船頭可愛や」が26万枚の大ヒットで、古関裕而の初の大ヒットとなることが出来ました!

 

日本ビクターの社長は大喜びし、古関裕而の累積赤字をチャラにして、レコードの1枚目から印税を払うようになりました。

 

さらに、昭和14年に、双浦環(柴咲コウ)のモデルとなる世界的なオペラ歌手・三浦環が「船頭可愛や」を聞いて気に入り、日本コロムビアのクラシック部門の青レーベルからレコードを出すのでした。

 

古関裕而は、妻・金子が尊敬している三浦環がレコードに吹き込んでくれたので、かなり喜んだのだそうです。

 

古関さんが、「月のバルカローラ」を作曲してプレゼントすると、三浦環が「月のバルカローラ」もレコードに吹き込んでくれました。

 

さて、高橋掬太郎は「船頭可愛や」以降もヒット曲を出すのですが、「酒は涙か溜息か」や「船頭可愛や」を超えるようなヒット曲は出ませんでした。

 

戦後は、「日本音楽著作家組合」「日本民謡協会」「日本詩人連盟」の設立に参加して要職を歴任。

 

昭和43年に紫綬褒章を受章したのですが、高橋掬太郎さんは昭和45年(1970年)の4月9日に、お亡くなりになりました。

 

ドラマだけでなく、実在のモデルとしても、古関裕而さんヒット曲に恵まれなくて、ピンチを迎えてたんですね。

 

無事にヒット曲が産まれて良かったと思います。

 

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まとめ

 

今回は、高梨一太郎を演じる、ノゾエ征爾さんや、実在モデルの、高橋掬太郎さんについてもまとめてみました。

 

エールのドラマを見ていると、昭和の初期の時代に、これだけたくさんの音楽家や歌手が、人気があったことが分かりますね。

 

裕一が、同期の木枯に紹介してもらった、高梨一太郎さんは、今後の古山裕一の作曲家人生のターニングポイントとなるとのことで、やっと売れない作曲家を卒業できそうです!

 

エールのドラマについては、最終回について「朝ドラエール最終回ネタバレ予想!結末ラストは甲子園で校歌の合唱!」でご紹介しているので、見ていってください!

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

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